山極勝三郎(やまぎわかつさぶろう)とはどんな人?子孫や名言は?ノーベル賞との関係とは?

今回のノーベル賞で、画期的ながん治療法を発表した日本人が受賞したことは多いなニュースになりました。

しかし日本のがん治療において、パイオニアと呼ばれた病理学者をご存知でしょうか。

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人工癌のパイオニア

「人工癌」とは人工的に癌を発生させることで、それにより癌のメカニズムの解明に大きく貢献したものです。

そんな人工癌のパイオニアと呼ばれるのが、山極先生なんです。

本名    山極 勝三郎(やまぎわ かつさぶろう)
生誕    1863年4月10日
死没    1930年3月2日(68歳)
出身    信濃国上田城下(現在の長野県上田市)
学歴    東京大学医学部主席卒業

癌細胞というのは、本来誰しもがもつ細胞の変異として今では定着しています。当時はその原因は不明としつつも「刺激説」と「素因説」の大きく2つに意見が別れていました。

山極先生は人工癌の研究の前に、胃癌の発生と肝臓細胞癌の研究の中で「環境が癌細胞をつくる」と言い、特定の細胞が癌細胞になるわけではないと唱えていました。

そのため人工癌の研究においても、煙突掃除夫に皮膚癌の発症が多いことに着目し「刺激説」での研究を始めたのです。

その実験は、うさぎの耳にコールタールを塗り続けるという地道なもので、実に3年の月日をかけて1915年にやっと人工癌の発生に成功しました。

人工的に癌を発症させられることで、今まで不明だった癌のメカニズムの解明に飛躍的な進歩をもたらしたというわけです。

子宝にも恵まれた山極先生ですが、長男と長女は不幸にも若くして亡くなっています。三男の山極三郎さんは、動物学者・病理学者として診察の対象は違っても医学の道に進めれました。

急性肺炎でなくなりましたが、その前の明治32年に肺結核を患っていました。病理学者だった先生らしく、後の医療への貢献になるようにと死亡解剖が行われましたが、その時に結核のせいで肺の上部が硬化し鶏卵の2倍位の塊になっていたことがわかりました。

孫の山極清一さんいわく、結核を患っている間は主治医と奥様以外とは接触せず、孫を抱くこともないほどの徹底ぶりだったそうです。病気の恐ろしさを知っているからこその処置だったのでしょう。

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幻に終わったノーベル賞受賞

これほどまでの研究をした山極先生ですが、ノーベル賞は受賞されていません。ノミネートはされたものの、一番受賞に近いとされたときにも別の方が受賞されました。

山極先生による人工癌の発生は当時かなり話題となったにもかかわらず、受賞したのは寄生虫による人工癌発生に成功したデンマークのヨハネス・フィビゲルに送られました。

しかし後に、このフィビゲルの発見した病変は癌ではないと証明されました。これにより、人工癌発生の第一人者は山極先生となったわけですが、すでにフィビゲルとともに亡くなった後だったのです。

先生の名言にこんなものがあります。

彼らは失敗したわけではない。成功する前に投げ出しただけだ。

虚偽の発表でノーベル賞を受賞したフィビゲルや、同じような研究をしていたのにその成果が出なかったその他の研究者たち、また今まさに道を迷っているすべての人達にこの言葉を送りたいと思います。

 

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