チャイコフスキーの生い立ちや代表作のエピソードは?

クラシックバレエの3大作品といえば「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」です。

それらすべてを作り出したのが、作曲家であるチャイコフスキー。

彼の生涯や、傑作が生み出されたエピソードをご紹介しましょう。

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チャイコフスキーってどんな人?

まずは、彼がどんな人だったのかを見てみましょう。

本名    ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky
生誕    1840年5月7日
死没    1893年11月6日(53歳)
国籍    ロシア帝国
活動期間  1866年~1893年

チャイコフスキーが「同性愛者だった」というのは、日本ではあまり知られていないことです。

わずか8歳で親元を離れ寄宿学校に入らされ、14歳のときにその母は亡くなってしまいます。寂しさを埋めるため、チャイコフスキーは周囲の人にぬくもりを求めるわけですが、寄宿舎は今で言う「男子校」のようなものなので当然対象も同性になってしまったんです。

人との接触を極端に嫌がる一方で、情熱的なつながりに憧れを抱くという矛盾を抱えたチャイコフスキーも、一度だけ結婚したことがあります。

彼の音楽に熱烈に恋をしたアントニーナ・ミリューコヴァから「会ってくれないと自殺する」と、半ば脅迫のようなラブレターをもらい、その情熱に圧倒されたチャイコフスキーは結婚することとなります。

しかしもともと人との接触に恐怖していたチャイコフスキーですから、結婚生活はうまくいくわけもありません。離婚が成立するまでの間に、なんども精神衰弱に陥りました。

そんなチャイコフスキーの理想とする人間関係を結んでくれる人がいました。それが、彼を生涯支えたパトロン「フォン・メック夫人」です。

彼女もチャイコフスキーの音楽に惚れ込み、10000通を超える手紙のやり取りをしながらも「絶対に会わない」事を条件に年間6000ルーブルの資金援助を続けたんです。

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傑作の影に物語あり

その生涯もかなり波乱が満ちていましたが、だからこそあれだけの名曲が生まれたといえます。

「白鳥の湖」が生まれた背景には、彼の偽装結婚が破綻し自殺未遂を行った末に療養にでかけた、スイスでの湖畔からインスピレーションを受けたと言われています。

この「白鳥の湖」は、ボリショイ劇場での初演後かなりの酷評を受け、チャイコフスキー自身も再演を拒否するほどでしたが、彼の死後2年たち振り付けを変えた舞台は高評価で、今でも様々な解釈のもとバレエ音楽の代表作として受け継がれています。

初めて作曲した協奏曲「ピアノ協奏曲第1番」は、今でこそ一般的な曲として受け入れられていますが、当時はロシアの音楽教育者で指揮者でもある親友のニコライに演奏不可能と言われるほどの独特の旋律でした。

後にニコライは「ピアノ協奏曲第1番」をレパートリーとしています。

最後の交響曲である「交響曲第6番『悲愴』」も、虚無感と不吉な終結により評判はよくありませんでした。しかし今までと違い、彼はこの曲を「誰がなんと言おうと最高傑作だ」と周囲に伝えていたようです。

彼はこの初演9日後に、コレラによる肺水腫で亡くなってしまいます。

彼の音楽は当時の人達にはあまり受け入れられていませんでした。しかし哀愁の中にある優しさや温かみのある彼の作品は、彼の内面をそのまま投影しているように思います。

バレエやオペラに起用されることの多いチャイコフスキーの音楽は、そんな彼の人間味あふれる旋律が演じるということに共通しているからかもしれませんね。

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