キュリー夫人(マリ・キュリー)の功績は?夫や娘など子孫のことや死因も気になる!
キュリー夫人の名は、誰でも一度は耳にしたことがあると思います。
名前は知っていても、実際にどんな事をした女性なのか、正しくご存知でしょうか。
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キュリー夫人の功績
まずは、彼女がどんな事をなしたかの前に、簡単に彼女のプロフィールをみてみましょう。
本名 マリア・スクウェドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie)
生誕 1867年11月2日
没年 1934年7月4日
国籍 ポーランド
研究分野 物理学・化学
五人姉弟の末っ子として育ったマリア(後のキュリー夫人)は、幼い頃から聡明で記憶力も高い子どもでした。しかし当時は帝政ロシアの監視下にあったポーランドで、知識人への監視はとりわけ厳しく、教育者だった両親への風当たりも相当でした。
1883年6月には、ギムナジウムを優秀な成績で卒業するも女性に勉学での道は狭く、マリアは家庭教師として暮らしていました。そこである男性と恋に落ちるも、身分の差を言われ実ることはありませんでした。
ひたすらに勉学に打ち込んだマリアに転機が訪れたのは、後に夫となるピエール・キュリーとの出会いでした。
ピエールは常日頃「女性の天才などめったにいない」とし、自分の考えについてきてくれる女性などいないと思っていました。ところがマリアに出会い、互いに惹かれ合い結婚となったのです。
キュリー夫人となったマリアには、2人の娘がいました。一人は母と同じ物理学者の道をえらんだイレーヌ。もう1人は芸術の世界で成功を収めたエーヴです。
イレーヌも母同様ノーベル賞を受賞し、その娘も物理学者の道を選び、親子3代での同業者一族となりました。
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キュリー夫人の功績
ノーベル賞を受賞するほどの、どのような功績を収めた女性だったのでしょうか。
ノーベル物理学賞受賞
ベクレル教授が発見したウランによる放射現象を更に掘り下げ、「元素は不変」という考えを改めさせた。
彼女の発見により放射線治療が開発され、皮膚疾患や悪性腫瘍への治療が示唆されました。後にこの治療方法は「キュリー治療」と名付けられたほどです。
ノーベル化学賞受賞
「ラジウム」と「ポロニウム」を発見し、その将来性に対する価値。
新しい放射性物質の発見と、それによるさらなる進歩への可能性への受賞でしたが、あえて発見そのものに対する受賞は見送られました。
こうして2度の受賞をしたこともさることながら、異なる分野での受賞というのはキュリー夫人が初となりました。
しかしこの発見の代償は大きく、彼女は1932年ころから度重なる体調不良に悩み、1934年に再生不良性貧血でこの世を去ることとなります。
彼女の研究所は、今は放射線除去され公開されています。しかし研究資料などはあまりにも濃度が高いため、鉛の箱に収められ簡単に見ることはできないのです。
キュリー夫人の功績は目に見えるものだけではありません。
彼女はラジウムの生成法の特許を申請しませんでした。そのため多くの科学者が彼女に教えを請い、多くの分野で彼女の研究は活用され今日に息づいています。
その理由を「人生最大の報酬とは、知的活動そのものである」と言っています。
その信念こそが、今の化学の発展に大きな影響を与え、それこそが彼女の最大の功績なのかもしれません。
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