金栗四三はどんな人?子孫や生家は?名言も知りたい!

2019年の大河ドラマが決まりました。

「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公の一人、金栗四三とはどんな人物なのでしょうか。

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「金栗四三」なんと読む?

あまり聞き覚えのない名前の場合、その読み方もわからないものですね。

氏名    金栗 四三(かなくり しそう)
生誕    1891年8月20日
死没    1983年11月13日(92歳)
出身    熊本県

幼い頃は虚弱体質だった金栗さんですが、幼少期は往復12kmの通学路を毎日走って通っていたそうです。

その下地だあったからこそ、日本における「マラソンの父」であり、日本人マラソンランナーで初のオリンピック出場選手にも選ばれたのかもしれません。

彼の生家の前には彼の名言を記した石碑が立てられ、彼の通学路はちょっとしたマラソンコースとしても有名になっています。

金栗さんは、選手としてはもちろんのこと、指導者としても後世にのこる功績を残されています。

当時の風潮としては「女子がスポーツをするなんて野蛮で不要なこと」とされていました。

ところが金栗さんは、女子こそスポーツをやるべきと考え女性へのスポーツ参加と育成に力を注いだのです。

その他、お正月の定番「箱根駅伝」の開催立役者としても有名で、最優秀ランナーには、彼の名前の『金栗四三賞』というものが送られるんです。

そしてなんと言っても超がつく有名なのが、大阪にある『グリコの看板』ですね。道頓堀グリコサインは、金栗さんがモデルなんです。

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オリンピック史上最も遅いゴール

「ストックホルムオリンピック」に日本人代表として出場した金栗さん。結果はというと、惨敗でした。

実は当時のストックホルムは40度を超える猛暑で、なれない洋食や会場移動など様々な条件が重なり途中で熱中症になって倒れてしまったんです。

倒れた金栗さんが意識を取り戻したのは、レースの翌日のこと。このまま会場に戻ることもできず、何も言わずに静かに帰国してしまいます。

この「何も言わず」というのが大問題となり、「試合中に消えた日本人」として地元ではちょっとしたニュースにまでなりました。

そしてときが立つこと55年。1967年にストックホルム五輪式典に金栗さんは招待されます。

当時のまま残っているストックホルムスタジアムで、僅かな距離を走りゴールテープを切った金栗さん。その直後のアナウンスでは、

「日本の金栗、今ゴールしました!タイムは54年と8ヶ月6日5時間32分20秒379
「ストックホルム五輪全日程が、これにて終了いたしました」

倒れてそのまま帰国してしまった金栗さんは、大会本部にその旨を伝えていなかったため『競技中』という扱いになっていたんだそうです。

そこでスェーデンのオリンピック委員会が、競技中の日本人選手をゴールさせてあげようと粋な計らいをしてくれたんですね。

しかもこの式典には当時金栗を介抱してくれたペトレ家の方々も招待され、彼らとの再会も55年ぶりとなりました。

2012年のストックホルム開催100週年式典には、金栗さんのひ孫にあたる蔵士義明さんが招待され、当時と同じコースを完走されています。

「体力、気力、努力」の名言を残し、その生涯を走ることに費やした金栗四三さん。

2019年放送の「いだてん~オリムピック噺~」では、どのような金栗さんに会えるのか今から楽しみですね。


 

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