フランク・ロイド・ライトのすごい私生活と代表作について

フランク・ロイド・ライトという方をご存知でしょうか。

その道では「巨匠」と呼ばれた彼をご紹介いたしましょう。

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「フランク・ロイド・ライト」とは?

まずは、彼の簡単なプロフィールのご紹介から。

本名    フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright
生誕    1867年6月8日
死没    1959年4月9日(91歳)
国籍    アメリカ合衆国
職業    建築家

フランク・ロイド・ライトとは、アメリカを代表する有名な建築家です。

フランスのル・コンビュジエ、ドイツのミース・ファンデル・ローエと並ぶ「近代建築の三大巨匠」の一人と言われるほどの建築家なんです。

牧師の父と学校教師の母の間に生まれたフランク・ロイド・ライトは、幼い頃より建築家になるべく英才教育を受けていました。

母はフランクの将来のため、「Froebel Gifts」と呼ばれるブロックでの遊びを通じ彼の感性を伸ばそうと考えました。

ライトの両親が経済的な理由から離婚すると、一時建築の世界から離れて土木の勉強を始めますがやはり建築が忘れられず、1887年に大学を中退しアドラー=サリヴァン事務所で働き始めます。

ここでルイス・ラリヴァンと出会い、その指導の元建築家の実績を重ねていきます。

フランク・ロイド・ライトは、このルイス・ラリヴァンのことを「生涯の師」として、尊敬し続けます。

彼の人生は、常に波乱がつきまとっていました。

妻キャサリン・トビンとの間には6人の子どもがおり、加えてフランク自身が浪費家だったこともあり家計はいつも困窮していました。

そのため1つの事務所の仕事だけでは生活できなかったフランクは、アドラー事務所の他にもアルバイトをしていました。そのことが発覚し、1893年にアドラー事務所を退職しています。

そんな中施工主の妻ママー・チェニーと恋仲になってしまいます。キャサリンに離婚を申し出るも了承をもらえなかったフランクは、家族を捨てチェニーと駆け落ちしてしまいます。

2年間の放浪の末彼が手に入れたのは、契約依頼の激減と不倫により地に落ちた名声でした。

それでもチェニーとの新生活を諦めきれなかったフランクは、自身で新居の設計を行います。ところがその新居の使用人によって、家は放火され家族は一家惨殺という悲惨な結末を迎えるのです。

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代表的な作品

まず彼の代表作といえば「ウィンズロー邸」でしょう。

左右対称で左右に広がりのある設計は、フランクの得意とする住宅設計デザインです。

また彼独特の「プレーリースタイル」の代表作が「ロビー邸」です。

かなりの大豪邸ですね。一個人の家というよりも、何かの施設のような規模ですが当初は個人宅でした。

それがオーナーを転々とし、最終的には大学の学生寮になります。老朽化が進み解体の危機が何度が訪れますが、そのたびにフランク自身が手紙を書いたり、ときに自身で足を運んで保存を訴えてきました。

そのかいあってか、1996年に国定歴史建造物に指定され、今でも大切に保管されています。

日本にも彼の作品はあります。それは「帝国ホテル新館」です。

帝国ホテルの失火や度重なる設計変更で、当初の予算を大幅に超えた金額となりましたが、あの関東大震災で周囲の建物が倒壊するなか、これだけはほぼ無傷で残り周囲を驚かせました。

現代でも十分に通用するデザインの住宅建築を多く手がけたフランク氏。

現存する建物は、ぜひその形を変えずに残していってほしいものです。

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